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最高裁判所第三小法廷 昭和57年(オ)1112号 判決 1985年3月26日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人藤原光一、同池尾隆良、同谷口由記、同正木隆造、同西川元庸の上告理由第一点ないし第三点について

原審が、被上告人についての担当医師の診断の結果、失明に至るまでの経緯等について認定した事実関係の要旨は、(1) 被上告人は、昭和五一年二月八日上告人の経営にかかる南大阪病院産婦人科において、杉本和子を母とし一卵性双生児の第二子として出生したが、出産予定日が同年三月二〇日であり、在胎週数三四週で約四一日早く出生し、生下時体重一二〇〇グラム、足位出産のいわゆる極小未熟児であつた、(2) 被上告人は、出生直後から同年四月一二日(六五日目)まで保育器に収容され、酸素投与を受けたが、酸素は四〇パーセントの濃度を超えないように留意された、(3) 木村嗣医師は、昭和五〇年三月大阪医科大学を卒業して同年五月医師国家試験に合格し、同年六月から同五二年五月まで同大学眼科教室及び付属病院において研修医として勤務するとともに同五〇年一〇月から同五二年一月まで南大阪病院眼科に毎週水曜日に嘱託医として勤務し、未熟児網膜症(以下「本症」ともいう。)については被上告人の診察前に患者二、三名の眼底検査を経験したにすぎなかつたが、同五一年三月一〇日(生後三二日目)、同病院の小児科の担当医であり被上告人の主治医であつた平野明子医師の依頼に基づき、被上告人の眼底検査をし、被上告人の生下時体重等から未熟児網膜症の発症を予想し、検査の結果、オーエンス一期の症状の疑いがあると考えたが、本症は自然治癒率が高いので経過観察で足りると判断し、カルテには、「視神経乳頭の境界は鮮明で色調も正常、網膜は透明でよく透見できる、網膜血管は両側蛇行しており、左眼に極めて小さい出血か?」と記載した、(4) 木村医師は、同月一七日再度被上告人の眼底検査をし、被上告人の両眼は反射の強いオレンジ色を呈し赤味を帯び、血管の怒張と蛇行が強くなり、左眼には大きな出血があるとの所見をえ(以下「木村医師の第二回所見」という。)、カルテには、「網膜血管は非常に強く蛇行し拡張している、色調はほとんど正常である、視神経乳頭は境界鮮明で正常の色調である」と記載したが、経験が浅く、被上告人の症状ほど急激に進行した症例を経験したことがなく、本症2型の経験もないため、被上告人の眼底の急変に異常なものを感じ、指導医による診察の必要を感じたが、同病院眼科の診療体制が診察日は週一回水曜日のみで指導医の古田効男医師は月一回の診察となつていたため、同医師に対し次回三月二四日に被上告人を診察するよう依頼したにとどまつた、(5) 同月二四日古田医師は、被上告人を保育器に収容したままプラスチック越しに眼底検査をし、その結果、被上告人の瞳孔はほぼ正円状で網膜剥離、虹彩後癒着にまで至つておらず、耳側の無血管帯はよく見えるが、鼻側は見えにくく、網膜には出血斑が見られ、境界線ははつきり見えるが、ヘイジイメデイアが周辺部、赤道部に強く、網膜の血管新生の状態はよくわからないとの所見をえ、被上告人の病状は本症1型の二期の終りないし三期であると判定し、できるだけ早く被上告人に光凝固か冷凍凝固かを施さなければならないと判断し、カルテには、「耳側の部位、無血管領域は中等度に拡大し、境界を認める、鼻側の部位は中間透光体がかすんでいるため血管新生は不明である、瞳孔は小さい」と記載したが、南大阪病院においては、従来本症の発症例の経験がなく、光凝固等の手術を行う医療機械設備もなかつたので、被上告人を転医させることとし、同日平野医師に対し、翌日一番に北野病院に連絡をとるよう伝えたが、同月二五日同病院から断られたとの連絡を受けたので、改めて大阪市立大学病院等を指示したところ同病院における同月二六日の診療の予約がとれるに至つた、(6) 同月二六日大阪市立大学病院眼科の阪本善晴医師は、被上告人の診断をしたが、その所見は、眼底周辺部から後極部に向かい網膜は灰白色で前方硝子体腔に膨隆し、赤道部を超えて黄斑部にまで浮腫(軽度の網膜剥離)を認め、網膜は全剥離の様相を示し、網膜血管は著明に拡張怒張し、紆余曲折している、被上告人は本症の末期であり光凝固等外科的療法の適応でないというものであり、合併症の懸念があるので、経過観察を要するものとして、同年四月一日を次回の診察日に指定した、(7) 同年三月三一日木村医師は、被上告人を診断し、「無血管領域(++)、境界線(+)(両側)、あとの所見は三月二四日の古田医師の所見と同じである」とカルテに記載した、(8) 同年四月一日被上告人は、大阪市立大学病院において、同大学医学部教授松山道郎医師の診断を受けたところ、同医師は、「両眼とも高度の虹彩後癒着のため瞳孔が散大せず、不正円である。両眼とも朦朧と透見しうる。乳頭は強度に境界が不鮮明。網膜静脈は強度に怒張蛇行し、充盈し、一部コルク栓抜状に屈曲している。網膜は、両眼とも全般に強く浮腫状に混濁し、後極部に及ぶ泡状網膜剥離(一〇ないし二〇ジオプトリー)を来しており、境界線が顕著である。右眼には出血斑も混在している。黄斑部は瀰漫性浮腫状に混濁している。」との所見をえた、(9) 虹彩後癒着の原因は、網膜剥離がかなり長期間(一週間ないし二週間)続いていたため、網膜の後部にある脈絡膜に反応性の病変が起こり、脈絡膜につながる毛様体、虹彩に炎症(ぶどう膜炎)が波及し、強い滲出性の病変が起こつたことにあると推認され、硝子体に瀰漫性の混濁があるのはぶどう膜炎及び網膜剥離に由来している、(10) 被上告人は、同年四月二日と同月八日の二回にわたつて北野病院において冷凍凝固の処置を受けたが、改善の効果はなかつた、(11) 右診断、所見のうち松山医師及び阪本医師の診断、所見が適確なものであるが、木村医師の第三回目の眼底検査によつてえた前記所見は過誤、未熟さが明白であり、同医師は本症の眼底検査の技術を修得しておらず、同医師の第一、二回の各眼底検査時の被上告人の眼底検査の正確な診断はなきに等しいものである、(12) 右松山医師及び阪本医師の診断に照らすと、被上告人の未熟児網膜症はいわゆる本症1型ではなく2型か混合型か断定できないが激症型と認められ、古田医師が診断した当時においては被上告人は既に網膜剥離の状態にあつたと認められるが、木村医師が第二回眼底検査をした時点では、被上告人は本症に罹患していたが、光凝固等によつて失明を免れる可能性があつた、というものであり、以上の事実認定は原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。

被上告人の本症罹患当時における本症の診断及び治療に関する一般的基準並びに被上告人の検査に当たつた前記各医師の右一般的基準の認識について、原審が適法に確定するところは、次のとおりである。(一) 右一般的基準は、昭和四九年に発足した慶応大学医学部眼科教授植村恭夫らからなる研究班が、翌五〇年に発表した「未熟児網膜症の診断ならびに治療基準に関する研究報告」に明らかにされているところのものである。(二) 右研究報告によると、本症の診断及び治療基準は、「(1) 本症は、臨床経過、予後の点より1型、2型に大別され、1型は、主として、耳側周辺に増殖性変化を起こし(鼻側と比べると耳側領域は血管発達が遅れるため、本症の病変は、耳側網膜に出現するという)、検眼鏡的に、血管新生、境界線形成、硝子体内滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離へと段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型であるのに対し、2型は、主として極小低出生体重児にみられ、未熟性の強い眼に発症し、血管新生が後極寄りに耳側のみならず鼻側にも出現し、それより周辺側の無血管帯が広いものであるが、ヘイジイのために無血管帯が不明瞭なことも多く、後極部の血管の迂曲、怒張も初期よりみられ、1型と異なり段階的な進行経過をとることが少なく、強い滲出傾向を伴い、比較的速い経過で網膜剥離を起こすことが多く、自然治癒傾向の少ない予後不良の型であるとされる。(2) 1型の臨床経過分類は、(イ) 一期(血管新生期)においては、周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、周辺部は無血管帯領域で蒼白である。後極部には変化がないか軽度の血管の迂曲怒張を認める。(ロ) 二期(境界線形成期)には、周辺ことに耳側周辺部に血管新生領域と周辺の無血管帯領域の境界部に境界線が明瞭に認められ、後極部には血管の迂曲怒張を認める。(ハ) 三期(硝子体内滲出、増殖期)では、硝子体内への滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められ、後極部の血管の迂曲怒張を認め、硝子体出血を認めることもある(なお、三期については、これを前期、中期、後期に分ける見解があり、それによると前期は、極く僅かな硝子体内への滲出、発芽を検眼鏡的に認めた時期であり、中期とは、明らかな硝子体内への滲出、増殖性変化を認めた時期をいい、後期とは、滲出性限局性剥離の時期とするものである。しかし一方この時期は、期間が長く、一部には活動性を示す部位と他では既に瘢痕化を起こしている部位が混在していて、三期の後期と四期の初期との区別は難しいという意見がある。)。(ニ) 四期(網膜剥離期)は、明らかな牽引性網膜剥離が認められ、耳側の限局性剥離から全周剥離までが含まれる。(3) 2型の臨床経過分類は、次のとおりである。これは主として極小低出生体重児に発症し、未熟性の強い眼に起り、初発症状は、血管新生が後極寄りに起こり、耳側のみならず鼻側にもみられることがあり、無血管領域は広く、その領域は、ヘイジイメデイアでかくされていることが多い。後極部の血管の迂曲怒張も著明となり、滲出性変化も強く起こり、1型のような段階的経過をとることも少なく比較的急速に網膜剥離へと進む。(4) なお、以上の外に、1型、2型の混合型もあると考えられている。(5)(イ) 本症の治療には、未解決の問題点が残されているものの、光凝固あるいは冷凍凝固を適切に行うと治癒しうることが多くの研究者の経験から認められている。しかし右の二つの型における治療の適応方針には大差があるとされている。(ロ) 治療の適応については、1型においては、その臨床経過が、比較的緩徐で、発症より段階的に進行する状態を検眼鏡的に追跡確認する時間的余裕があり、自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに選択的の治療を施行すべきであるが、2型においては、極小低出生体重児という全身条件に加えて網膜症が異常な速度で進行するために治療の適期判断や治療の施行に困難を伴うことが多い。したがつて、1型では治療の不必要な症例に、行き過ぎた治療を施さないよう慎重な配慮が必要であり、2型においては、失明を防ぐために治療時期を失わぬよう適切迅速な対策が望まれている。(ハ) 治療時期について1型では自然治癒傾向が強く二期までの病期中に治癒すると、将来の視力に影響がないので二期までの病期のものに治療を行う必要はない。三期において更に進行の徴候が見られる時に始めて治療が問題になる。ところが、2型では、血管新生期から突然網膜剥離を起こしてくることが多いので、1型のように進行段階を確認しようとすると、治療時期を失うおそれがあり、治療の決断を早期に下さなければならない。この型は、極小低出生体重児で未熟性の強い眼に起こるので、このような条件を備えた例では、綿密な眼底検査を可及的早期に行うことが望ましく、無血管領域が広く全周に及ぶ症例で血管新生と滲出性変化が起こり始め後極部血管の迂曲怒張が増強する徴候が見えた場合は、直ちに治療を行うべきであるとされている。(二) 治療方法について、光凝固は、1型では、無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し、後極部付近は凝固すべきでない。2型においては、無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、この際後極部の保全に十分な注意が必要である。冷凍凝固も凝固部位は光凝固に準ずるが倒像検眼鏡で氷球の発生状況を確認しつつ行う必要がある。初回の治療後症状の軽快が見られない場合には、治療を繰り返すこともあり、また、全身状態によつては数回に分割して治療することもある。混合型では、治療の適応、時期、方法を2型に準じて行うことが多い。」というものである。(三) 木村、古田、阪本及び松山の各医師は、本件における被上告人の診断、治療に際して、前記の研究報告の存在、その内容を熟知していた。

さらに、原審が、被上告人の本症罹患当時の未熟児に対する定期的眼底検査の目的、時期等についての一般水準として確定するところは、未熟児に対する眼底検査は、本症の活動期の初発病変を捉えて、その経過を連続的に観察し、ヘイジイメディアの存在とその持続期間、未熟眼底と成熟眼底との鑑別、本症活動性病変の早期発見と1型、2型の判定等を行い、これに基づいて治療方針を決定し、光凝固、冷凍凝固療法施行後においては予後合併症の追及をすること等を目的とするものであつて、未熟児の眼底の未熟度の判定及び本症発見のためには、生後できるだけ早期に、遅くとも三週以降眼底検査を開始し、本症の早期発見と進行の監視を行い、進行重症例への最も適切な病期における光凝固ないし冷凍凝固による治療を施すのが、実際的な対策であり、定期的眼底検査の頻度については、前記研究報告は、生後満三週以降一週一回、三か月以降は、隔週または一か月に一回、六か月まで行い、発症を認めたときは、必要に応じ、隔日または毎日眼底検査を実施し、その経過を観察することが必要である、というものである。

以上の原審の確定した事実関係のもとにおいては、木村医師としては、第二回眼底検査の結果、前示の第二回所見をえ、第一回の眼底検査から僅か一週間を経過したにすぎないわりには、被上告人の眼底に著しく高度の症状の進行を認めたのであるから、本症2型の疑いの診断をし、頻回検査を実施すべきであり、また、本症の患者二、三名の眼底検査をした程度の経験を有するにすぎなかつたのであるから、直ちに経験豊かな他の専門医の診察を仰ぎ、時期を失せず適切な治療を施し、もつて失明等の危険の発生を未然に防止すべき注意義務を負うに至つたものというべきであるところ、同医師は、被上告人の症状の急変に驚き、おかしいと感じながらも十分に未熟児網膜症の病態の把握ができなかつたため、頻回検査の必要性にも気付かず、一週間の経過観察として、次週に古田医師の診断を求めたのにとどまつたが、かかる処置は、被上告人が未熟児網膜症の激症型であつたことに照らすと、不適切なものであつたというべきであり、このため被上告人は光凝固等の外科的手術の適期を逸し失明するに至つたものであるから、木村医師には医師としての右注意義務違背の過失があつたものというべきであり、右処置と被上告人の失明との間には相当因果関係があるものというべきである。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、原判決の結論に影響のない事実誤認をいうものであつて、採用することができない。

同第四点一について

所論の不確定要素は、原審が確定した逸失利益及び介護料にかかる損害額を減額すべき事由とはいえない。所論引用の判例は、本件と事案を異にし適切でない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同二について

原審は、被上告人の第一審被告大阪市に対する請求の理由のないことを斟酌したうえ、所論の弁護士費用にかかる損害額を算定しているものであり、このことは原判文上明らかである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することはできない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木戸口久治 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡満彦 裁判官 長島 敦)

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